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2026.03.08

日本一小さな、地域おこしを始めます

・里山の取り戻し方を,共に学ぶ研究所

(ウェブサイトに合わせて,リード文を入れます)

僕が英田上山棚田団の一員として、耕作放棄地となった棚田の再生活動に加わったのは2009年。そこで最初に見たものは、8300枚という棚田の広大な斜面が、笹藪や灌木で覆われ、あるいは竹林となった姿でした。

過疎、高齢化、耕作放棄地の増加、里山の崩壊。そしてそこに獣たちが棲みつき、さらに人が住めなくなる悪循環。などなど、中山間地域が抱える問題について言葉としては聞いていたものの、これほど荒れた景観を目の当たりにして、改めて呆然としたものです。

(ここで当時の上山の写真が入るといいかも。キャプションは写真に合わせて加えます)

英田上山棚田団と共に

耕作放棄地を復活させるためには、何よりも最初に、棚田を覆う植物たちを切り払わなくてはなりません。

最初はノコギリ一本から。しかし到底間に合うはずもなく、草刈り機、チェーンソーなどの道具を安全に扱う方法を覚えます。

もちろん作業は注意深く。樹木や竹が倒れる方向を見誤ると大ケガをします。

(草刈り機、チェーンソーの写真を入れ、以下のようなキャプションを入れるとか。

草刈り機:田舎暮らしの必修科目。

チェーンソー:取り扱いには注意が必要。

いずれもご要望があれば使い方のワークショップも可能です。
など。以下同様。写真は小刻みに入れても可)

こうして樹木や竹林を切り払った後にも根は残るので、1〜2年かけて草刈りや野焼きを繰り返します。その後にようやく水を溜め、代掻き。こうしてもとの田んぼに戻すまで、3〜4年を要します。

以降15年あまりの間に、樹木や竹を2万本は切り倒したのではないでしょうか。

現在、上山の千枚田は4分の1ほどまで再生され、米作りが行われるようになりました。それでも草刈りや水路の保全などなど、田んぼを守るための営みは、毎年繰り返し行われています。

大芦高原での暮らしが始まる

棚田再生活動の拠点として、大芦高原に住まいを移したのは2013年、棚田団の活動にも慣れてきた頃でした。

大芦は上山地区で最も標高の高い場所に位置し、広大な上山の千枚田を潤す溜め池、大芦池があります。

(大芦池の写真?)

まさに棚田の歴史と共に歩んできた大芦池。西暦800年代には池が築かれていたという記録があるということは、この集落にも同様の歴史があり、千年以上に渡る“山の暮らし”が営まれていたはずです。しかしここで僕が見たものは、僕たちの代で、その歴史を終えようとしている集落の姿でした。

(当時の大芦のようす、空き家の写真?)

半径1kmほどの集落に、数世帯しか暮らしていないという過疎。空き家が多く、そのほとんどは笹藪の中にあり、道には雑草が生え放題。手入れが行われていない山は暗く、獣たちの気配は濃厚。

電気やガスの無かった千年近い時代を乗り越えて来た集落が、電気やガスや石油のある時代に衰退するなんて、何とも皮肉な話です。

身体と手を使うことにより、甦る環境

改修の許可をいただき、拠点として選んだのは40年間も放置されていた空き家でした。

当初は高さ3mにも及ぶ笹藪に覆われ、屋根の一部は崩れ、床は踏み抜きそうなほど傷んでいました。

とは言え、柱や梁はしっかりしている。この家には傾いた部分が無い。これだったら自分にも修復できるかもしれない。

最初は手探りでの空き家再生でしたが、自分にも住む場所が作れることが楽しく、できる限りのDIYを駆使して、13年がかりで、快適に暮らせる拠点に作り変えました。

(床を修復している写真?)

小さな“循環”が甦り、風景が甦る

建物の再生を進める一方で、家の周りの環境を整えるため、暗かった裏山の間伐を始めました。もちろん間伐材は薪になります。

大芦の寒い冬を越すにも、暖かいお風呂を沸かすにも、裏山の薪だけで充分。絶え間ない雑草との戦いも処理も、飼い始めた山羊が手伝ってくれます。

なるほど。山が明るくなれば熱エネルギーになる。道がきれいになれば、山羊が育つ。こういう昔ながらの山の暮らしは、熱や命の小さな循環によって、風景が守られてきたことを教えてくれます。

なお、上山地区の古い民家の多くには、敷地の数倍広い裏山があります。その山にはクヌギ、ナラなどの広葉樹が茂り、薪炭林として利用されてきました。これらの木は植林された針葉樹よりもはるかに利用範囲が広く、薪や炭というエネルギー源のほかにも、板材や家具に加工して使われてきました。しかも広葉樹は、切り株から再生し、数十年後には再びもとの姿に戻ります。

地元の人に交わり、そのような昔ながらの山の暮らしを知るにつれ、個人の力では到底食い止めることなどできないと思っていた里山の崩壊にも、どうにか抗える道筋が見えてきました。

この小さな地域を、

より多くの人に開放し,共に学びたい。

大芦での暮らしに慣れた頃、結婚し、子どもたちが生まれ、五人家族となりました。

そんな僕たち家族のようすを見ながら、仲間が集まり始めました。移住者も現れました。やがて「うちの空き家を再生して、遠くから来る人の宿として使ってもえぇ」と言う、地元の方々まで現れました。

であれば、この小さな集落をより多くの人に見てもらい、共に昔ながらの山の暮らしを学び、実践する場所にできないか。

そんな思いから、この小さな大芦地区そのものを開放したいと考えました。

ここには、棚田や里山の観光がてら立ち寄っていただくことも、宿泊もできます。関わってくださる方が増えるほどに、山の風景が美しく変わり続ける研究所。

具体的には、古民家改修のワークショップや、草刈り、薪割り、DIYなど、山の暮らしの基本を学ぶワークショップ。上級者編として、狩猟やジビエ料理について研究することも可能です。ほかにもいろいろ、ご希望に合わせて研究テーマを選びながら、山の暮らしについて学び合い、情報交換の場となることも期待しています。

日本中どこにでもありそうな大芦高原の里山だからこそ、ここでの体験や知識を、日本中で活かすことはできるはず。

そんな開かれた『山の暮らし研究所』に興味のある方は、ぜひ気軽にお問い合わせください。お待ちしております。

大芦高原 山の暮らし研究所 

代表 梅谷真慈